FM三重「ウィークエンドカフェ」2013年2月2日放送

今回、熱くお話をしてくれるのは、東紀州神輿団の東孝道さん。
神輿のこと、祭りのことを話す表情は、とても生き生きしています。

『東紀州神輿団』ができたのは、おととしの秋。
長島神社のご造営奉祝祭が終わったあと。
同世代の仲間とともに感じたあの感動をずっと忘れたくなくて・・・。
20代~30代の祭り好き、約40人が集まって結成されました。

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■長島神社の祭りは、いやいや参加・・・だったはずが

そもそも、祭り自体はそんなに好きではなかったんですよ。
今回、20年に1度のお木曳祭があったんですが、それも地域の人から、「あんた町におるんやで、20年に一度なんやで出やな!」とか言われて、いやいや参加した感じでしたね。
実際出てみると、同年代の子がけっこういて、みんな、自分と同じように、親から言われていやいや出ているんです。
「こんなん出たない」とお互い言いながら始まったんですよ(笑)

今、自分は33歳。
20年前の前回のお木曳は13歳、小学校6年生でした。
記憶は多少ありますし、写真も残ってるので、部分部分、何となく覚えていますね。

そして20年たって、今度はいやいや出たものの、意外にそれが楽しくてですね(笑)
で、みんなも楽しいなあ、ってなって。

でも、「楽しい」と気づいても、そうやってみんなが集まる機会って、あまりないんですよ。
尾鷲だったら『ヤーヤ祭り』とかありますけど、長島はそういう祭りがないもんで。
子ども用の祭りなんかはあるんですけどね。

長島神社の祭りが終わったあと、何となく寂しくてね。
2、3週間は引きずっていたかな。
それで、地元の仲間たちに声をかけたんです。
するとその輪がどんどん広がって、都会に住んでいる同級生にもその声は届いて行ったんですね。

それで、なんとか続けていけるような行事を作れないかな、となったのが『東紀州神輿団』の結成のきっかけです。


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■手づくりの神輿!

自分の頭の中に「神輿を作ろう」ってのが漠然とありましたが、こんなに立派な神輿ができるとは思っていませんでした。
最初は、担ぐ木に米俵を積んで長島神社に奉納しようか、という話だったんだけど、木曳きでお世話になったおじちゃんが、「神輿を作る手伝いをしたる」と。
おじちゃんは町の本町組という組で、僕らが入っている組の人。
「お前たちが何かしたいと言うんだったら、手伝ったる」と言ってくれたおじちゃんを軸に、休みの日にはみんなで手伝いに集まって、神輿を作りました。

そもそも神輿は子供神輿しかなかったので、どういう神輿にしたら良いのかをネットで調べてね。
神輿に付いている模様の意味とか形の理由とか・・・そういう部分からみんなで手探りで情報を集めて、本当に一から作ったんです。

あまり難しいしきたりとかは考えず、原点は「みんなで楽しく」。

神輿団のデビューは、去年の『船だんじり』。

午前中は神輿で町内の家を一軒一軒まわり、長島神社さんで御札をいただいて、その御利益があるように。
大漁祈願、家内安全、商売繁盛を歌いながら町内をまわりました。

そして午後からは、だんじりの先鋒としてまわらせてもらう、という形でした。


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■長島らしいデザインの法被で、みんなで楽しくをモットーに!

そうそう、法被も一からデザインしたんですよ。
長島らしいデザインをということで、みんなで集まって、こだわって決めました。
この法被がけっこう好評で、神輿に出ていない人からも買いたいという要望が多く、百何十着と売れたんです。
でも実際携わっているのは、それの半分くらい(笑)

何に使うかというと、もちろん着たいという人もいますが、東京や他の地方に出て行っている人が、家に飾りたいというのもありました。

一面に『長島』と書いてあるので。

色も一から染めてもらって・・・一番いい形で完成したと思います。
やっぱり長島のイメージといえば漁師町。
法被も祭りの雰囲気も荒々しく、威勢よく行こうや!って感じですね。

神輿を担ぐのは、20代30代が中心ながら、40代、50代の人も頑張ってくれています。
ただ、神輿を担ぐと3、4日は身体が動かないんですね。
「やっぱり仕事にならん!」冗談まじりで言っている人もいますが、実は本当だったり(笑)

声の出し方も長島独特の「チョイサー!」という掛け声で、神輿を回すんです。
丸一日、全力で「チョイサー!」と叫び続けているので、本当に1週間くらい声が出なくなりますよ。

祭のスタートは朝の7時から。
音響なども自分たちでトラックにセットして鳴らすんですけど。
普通だとお囃子なんですが、長島らしく演歌で行こうや!と。
船の歌とか、船出に歌う歌とかをガンガンかけてね。
朝の7時からなので、けっこう迷惑な家もあったかもしれません(笑)


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■祭りがあると都会へ行った人たちが帰ってくる!

構想としては、今の時点では、神輿と子どもたちが乗れるようなものを作って仮装したりとか・・・そういうものをみんなで考えています。
けれど、ある程度安定したら、『孫太郎大鼓』や『関船』などの祭りとコラボできたらいいな、と思いますね。

伝統行事の中に、新しい力。
そのためにはやっぱり人手が必要なんです。
担いでくれる人、ちょっとでも興味があったら誰でも歓迎なんで、どんどん来て欲しいです。

自分と同年代の仲間でも外に出て行っている人は多いですね。
『東紀州神輿団』の人でも半分くらいはそう。
町はそもそも、そんなにたくさん若い人が残っていないですしね。

町に来てもらって、「長島やっぱりいいな、帰って来たいな」・・・という気にさせたいです。
実際みんな、話を聞くと帰って来たいんですよね。
働くところがないので、仕方なしによそに出て行く人が多い。

だから、まわりの人の話を聞いていると、長島にいられるのは幸せなんだろうな、と感じます。
普段はマンネリ化してしまって、「何で長島はこうなんやろ」と思うけど、それが長島のいいところなのかもしれませんね。

帰ってくると「長島ええなあ、帰って来たいなあ」、とみんな言いますけど、きっかけがない。
こういった神輿などが、そのきっかけになれると嬉しいですね。
そしてまた、子どもが帰ってくると親が喜ぶんですよ。
そして親御さんも喜んで祭りに参加してくれる。
こうやってまわりの輪が広がっていったらいいかな、と。

そしてね、不思議と普段、接することのない人たちでも、祭だと一つになるんです。

祭りの当日は、警備など裏方の仕事を町のおじちゃんたちが手伝ってくれました。
他にも、目立たないところをたくさんの人たちがフォローしてくれていたんです。

で、祭り以降は、もう挨拶して、親しくなっている。
これが祭りのいいところだと、実感しました。
『東紀州神輿団』を作ったことで、町の知り合いが多くなり、田舎独特のいい関係ができてきましたね。